夏至を含む6月20−24日の4泊5日の間、野崎恭平と吉井孝のふたりで取り組む長期リトリートの屋久島版を現地ガイドとして担当させてもらいました。リクエストは「永田岳まで導いてくれ」ということでしたが、人生初の5日間大雨警報が発令され、屋久島の奥の奥岳である永田岳へは行くことはおろか、通行止によって登山口にも近づかせてもらえませんでした。屋久島の梅雨の凄さを再認識させられる日々でした。後半は入山も可能なほど雨は小康状態になるものの地盤の緩みで土砂崩れが起きる可能性があるので警報は解除されず。。以前は観測所に人がいて、判断していたそうですが、今はコンピューターが判断しているそうです。とにかく、すべての予定を変更せざるをえない、屋久島ではよくある臨機応変さを必要とされるガイディングとなりました。
今回の企画者の狙いは、自己との対話、そして何より自然との対話を重ねることによって「私は何者か」を思い出す。そんな生まれ変わりの冒険になることが意図されていました。
その意図を大切に振り返れば、別に永田岳でなくても屋久島には「自分という自然に還れる場」が多く存在していて、カナメはその自然の中で動と静の時間をどのくらいのバランスで割り振って、参加者の人たちがどれだけ深く自然と向き合え、覚醒していけるか。その芯をブラさないように、どしゃ降りの中、警報クエストスタート!
警報が発令される前日。終わってみればこの日しかチャンスはなかったなあ。まずはお決まりの屋久島の沢に全身包まれる儀式。これをやるとやらないでは、屋久島に来た感に大きな差がでます。
そして、裸足で森の大地を味わってもらい、まずは感覚をひらく遊びを。日々の暮らしの中で靴がどれだけ大地とのつながりを遮断してしまっているのか。都会でのあらゆる遮断を解放すると、人はどんどん子どものような無邪気な表情になっていく現象は、もう長年ガイドをしていると、人類共通の現象であるかのように思えるほど、高確率で起きます。笑 そして、ジブリ映画「天空の城ラピュタ」のシータの言葉が裸足になるといつも思い出されます。
ラピュタがなぜ滅びたのか、私よくわかる。ゴンドアの谷の詩にあるもの。「土に根を下ろし 風と共に生きよう 種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう」どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ。
人間の利便性だけを追求して大地をアスファルトで覆ってしまった都会は、現代のラピュタなのかもしれません。幸い屋久島にはまだ多くの土がアスファルトに覆われず健全に残っています。その大地の上で遊び、感覚を研ぎ澄ませてから、さあいよいよ命題である個々が自然とつながる時間へ。
孝くんのmanakiというナビゲーションで、ゆっくりと自然と繋がっていきました。
そして、自然と対話するソロタイム。
おのおの自分の直感が働いた場へ。
瞑想する人もいれば、水遊びする人も。自然と対話する方法も人それぞれ。
最後の森で記念写真。雨続きのトレッキングで人はこんな笑顔をできるものなのか。不思議に思う人もいるかもしれません。しかし、それぞれが自然との対話を積み重ね、雨に包まれた3日間。それぞれの心に何かが灯り、燃え始めた瞬間だったように思えました。明日からはみんなまたバラバラ。みんながどんな旅を再スタートさせるのか楽しみでなりません。今回の冒険が、どんな意味をもたらしたのかは、写真の笑顔の先にあるみんなの「これから」にあるような気がしてます。
このメンバーでいつか永田岳行きたいなあ。
企画者である恭平が旅終了後に言った言葉を最後に。
「人はもっと自然に入ったほうがいい。」
同感っ!人は自然で元気になってゆく!