縄文杉の名の由来
1966年5月、屋久島町役場の観光課長だった岩川貞次氏によって縄文杉は発見されました。発見当初は岩川さんの岩をとって大岩杉と呼ばれていましたが、いつの間にか縄文杉という名前に変わってしまったそうです。
縄文杉の名の由来は、当時推定された樹齢が4,000年以上で縄文時代から生きていることから来たという説と、うねる幹の造形が縄文土器に似ているからという説があるそうです。
日本に自生する杉はジャパニーズシダーと呼ばれ、日本にしか生存しない日本の固有種です。その杉の中で日本一太い杉が縄文杉です。問い合わせで「屋久杉(ヤクスギ)に会いに行きたいのですが。」とよく尋ねられることがありますが、ヤクスギとは屋久島で1000年以上生きているであろう杉の総称のことで、屋久島には数百本存在しています。縄文杉はそのうちの1本ということになります。
縄文杉に猿が、どこにいるかわかりますか?
縄文杉の幹周
幹周は16.4m。大人10人で手をつないでようやく縄文杉をぐるっと囲えると聞いたことがあります。屋久島で現在発見されている杉の中では最も太い杉です。幹周は高さ1.2mのところで測った数値で、根周り(根元周)は28mもあるそうです。
実は、縄文杉より太い杉を見たという話は、島内でけっこう噂されています。2018年には天空杉と名付けられた杉が発見されました。縄文杉には及びませんでしたが、ナンバー2の大王杉(幹周11.1m)より太く、12.43mあったそうです。
縄文杉より太い杉がまだあるかもしれない。そう思うとワクワクしますね。
屋久島から本土に目を向けると、縄文杉より太い幹周19.31mある将軍杉という杉が、新潟県の東部に位置する阿賀町に生きているそうです。ググって写真で見てみると、根元付近で6本に幹が分かれて縄文杉とは容姿を異にしますが、個人的には似てるなあと直感しました。縄文杉も樹高5〜6mぐらい?のところで大きく枝分かれしているので。
屋久島の森では、かつて人によって切られた切り株や、立ち枯れした巨木の上に、また杉が生えることがよく観察され、二代杉と呼ばれています。もしかすると縄文杉も二代杉だったりして? 縄文杉に会うといつも妄想が膨らみ、飽きさせない魅惑の御仁です。
夜と朝のあいだ
縄文杉の樹齢
発見者の岩川氏は6,900年と推定したそうです。その後、九州大学の真鍋氏は、島の森にある伐採された屋久杉の多くの切株を調査し、日照や標高、地形などを加味しながらデータを蓄積して、屋久杉の直径と樹齢の関係を導きだしたそうです。その結果、樹齢を7200年と発表しました。
しかし、大きさから推測するのは、想像の域を出ないので、もっと確実に調べる方法は、縄文杉を輪切りにして、、、。なーんてやっちゃったら大問題ですね。年輪は測ることができないので、放射性炭素年代測定法で細胞を調べるのが現在最も有力と言われています。細胞の炭素14という原子の数は、生きものの中に取り込まれて固定されてから一定の割合で減少することがわかっています。その性質を利用すると、炭素14の原子の数がどれだけ減ったかで年代がわかるという測定法です。学習院大学理学部の木越邦彦氏が、空洞化した部分の中央近くから採取した木片をその測定法で調べ、一番古いものは、2170年だということがわかりました。±110年の誤差があるようですが。
なので、縄文杉の樹齢は現在、2,170年以上、7,200年以内とよくガイドの人は言っています。
しかし現在、縄文杉の樹齢は4000年以上はさかのぼらないとするのが定説になっているそうです。約7300年前に鹿児島と屋久島の間の海底火山が爆発して、そこから大量の火砕流が屋久島に押し寄せてきたそうです。その火山灰は東北の福島まで到達するほどの大爆発で、屋久島を含む九州南部諸島は壊滅的な被害を受けたと推測されています。そのダメージから植生が回復するまでの時間や縄文杉周りの堆積物などから、7000年生きているというのは考えにくいという考え方です。
新緑に包まれる縄文杉
縄文杉の樹高
縄文杉に背丈は25.3mあります。この数値は、平均的な高さと言えます。尾根に生きる万代杉は13.2m、窪地に住む大和杉は34.9mで、縄文杉はその中間ぐらいの樹高となっています。木は尾根沿いは低く、谷は長い傾向にあります。縄文杉の鎮座している環境は高塚山の中腹の斜面です。屋久杉の樹高は、生きている自然環境、特に地形に大きく影響されていると思われます。
合体木説
樹齢2000年程度の杉が2本融合して今の縄文杉になったのではないかという説があります。しかし、鹿児島大学の林氏のパーオキシダーゼ・アイソザイム分析の結果、縄文杉は一つの木であるということが証明されています。しかし、その結果に対しては私は懐疑的で、果たして木が合体して何千年の時を経たときに、遺伝子がどう変化することは、若年の科学では証明できるものじゃないと思っています。2017年3月に北面に新デッキが建設され、縄文杉の横アングルが見れるようになってその思いがより一層強くなりました。
その姿を見た瞬間にわいた直感は、「1本の木じゃないかもしれないなあ」でした。屋久島には着生という現象がよく見られます。木の幹に別の木が生長する現象です。左側の枝が、着生している杉の生えかたによく似ています。まあ、私の10年そこそこの観察と、40年そこそこのはじき出した直感なので、あてにならないですが。笑 兎にも角にも、こんな話をあーだこーだ話し合って縄文杉の成り立ちに思いをはせる時間もまた楽しみの一つです。
着生物が織りなす四季の変化
もうひとつの楽しみは、四季折々の変化を楽しむことができることです。杉は常緑樹で紅葉しないので色合いに変化がありません。また生殖器官も花ではなく球果という松ぼっくりみたいなものなのでとても地味です。しかし、縄文杉には十数類もの落葉系の植物が着生しているので、秋は多彩になります。また春にはツツジ系の花がポツポツと縄文杉にアクセントを。また縄文杉の周りには落葉樹のヒメシャラが多いので新緑時はうっとりの世界です。上の写真は、ヒメシャラの新芽がイルミネーションのように光って華やかになった時期に80mmの望遠レンズで撮影したものです。
※個人レベルで収集している情報なので、お気付きの点、誤りがある場合はご指摘いただけたら幸いです。より正確で多岐にわたる縄文杉に関する情報を皆さまにお伝えできたらと現地ガイドとして思っています。